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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)7047号 判決 1982年8月20日

原告

北原茂

被告

中西歯科医院こと 中西春太郎

右訴訟代理人

菅生浩三

葛原忠知

南川博茂

川崎全司

甲斐直也

丸山恵司

主文

一  被告は、原告に対し、金一三一万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年三月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事案《省略》

理由

一診療行為及び診療過誤

1  右下四番について

(一)  被告が原告に対し、昭和五二年六月二八日から同年一一月二一日までの間、右下四番について根管治療、同充填のうえこれに金属冠を被せる治療を施したことは、当事者間に争いがない。

(二)  原告は、右下四番の根管治療が不十分であつたと主張するので、この点について検討する。

<証拠>によると、被告は、右下四番について、初診当時、急性化膿性歯根膜炎と診断したこと、昭和五二年七月一五日、従前より処置されていたアマルガム充填を撤去してレントゲン撮影をし、その後根管内の拡大、シーピー(学名キャンフェリック)という消毒薬をひたした綿を根管内に詰め、その上を仮にゴムで塞ぐいわゆる根管治療を行ない、同月一八日、二〇日にもこれを繰り返したこと、同月二一日、再度レントゲン撮影により歯根の先端や周囲の状態を見てその治療効果を確認した後、根管充填を行なつたこと、同月二六日、従前アマルガム充填が施されていた歯牙欠損部分を金属塊で塞ぎ、同月二七日、この上に金属冠を被せたこと、その後原告は、後記のとおり昭和五三年一月二三日から被告において左右上各一番の治療を受けたが、その際原告が右下四番について何らかの支障を訴えたことはなく、原告が同年一〇月に三瀬歯科医院で診療を受けたときも、右下四番については別段治療はされておらず、もとより歯根嚢胞であるとの診断はされていないことを認めることができ<る。>ところで、証人新海、同高須淳の各証言によると、歯根膜炎の治療方法としては、根管内を拡大して四、五回の根管治療を繰り返した後、レントゲン撮影による歯根先端部の観察及び根管治療の経過とくに根管内に詰めた綿への汚物の付着度に基づく判断により、根管充填をしてこれに金属冠等を被せるというのが通常のものであること、一か月程度の根管治療の後においても、レントゲン写真の歯根先端部の暗い影は完全に消えてしまうものではないこと、その場合でも前記根管治療の経過に基づく判断により根管充填をすることが許されていること、及び根管充填の時期の判断は、根管内に詰めた綿への汚物の付着度を基準とする歯科医師のいわば勘というべきものに依拠するものであること、を認めることができ<る。>

以上認定の事実を総合すると、被告の施した右下四番の治療は、特に通常以上に根管治療を施すべき事情の認められない本件においては、歯科医師として要求される注意義務を尽くしたものと認められるのであり、これを不適切、不十分な治療ということはできない。

(三)  原告は、前記治療終了後においても右下四番の歯ぐきの膨らみが消えないので、その旨被告に訴えたところ、被告は「歯ぐきの膨らみは自然に消失する。」旨答えてこれを放置したと主張するが、原告本人の供述中これに符合する部分は、措信することができ<ない。>

(四)  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、右下四番についての原告の請求は理由がない。

2  右上一番、左上一番について

(一)  被告が、原告に対し、昭和五三年一月一三日から同年三月二三日までの間、左右上各一番についてメタルボンドによる継歯治療を施したことは当事者間に争いがない。

(二)  原告は、初診当時左右上各一番には単にクラウンが被せてあつただけであつたところ、被告はその歯冠部を水平に切断したと主張するので、この点について検討する。

<証拠>を総合すると、原告が左右上各一番の治療を求めて来た当時、他の歯科医によつて左上一番には金属ポスト及び金属充填物(インレー)による処置が施され、右上一番は既に歯冠部が切断され、これにポスト冠が装着されていたが、そのいずれも脱落しそうな状態になつていたこと、双方とも金属充填物又はポスト冠と歯牙部との境界部が継発的虫歯に罹つていたこと、そこで、被告は、右金属充填物及びポスト冠を撤去してレントゲン撮影のうえ、根管治療の反覆、従前金属ポストが充填されていた根管を削つてこれを拡大するなどの処置をとつた後、右根管部に金属ポスト及び金属充填物を充填し、これを削合形成のうえメタルボンドを装着したこと及びメタルボンドの装着については、原告は当初費用面からこれを逡巡したが、結局これを承諾したことを認めることができる。<反証排斥略>

(三)  次に、メタルボンドの金属ポストが、左右上各一番の根管中心部から外れ、歯ぐきに突き刺つていたとの主張について検討する。<証拠>を総合すると、昭和五五年一月三一日、福原歯科医院において、左上一番のメタルボンドの金属ポストが根管中間部より突き出て歯ぐきに刺さつていると診断されたこと、原告は、左上一番について、被告から治療を受けた後福原歯科で右の診断をされるまでの間、他の歯科医により特段の治療を受けたことがないこと、被告が左上一番を治療した際の診断は急化性歯根膜炎、C3であり、従前の金属ポストが歯ぐきに刺さつているとの診断はなされていないこと、メタルボンドの金属ポストが歯ぐきに突き刺さつた状態になる原因としては、虫歯が相当進行して牙質が非常に柔かくなつていたため根管に金属ポストを入れるとき根管壁面に穴があいたか、根管内を削つているうちに誤つて根管の横の方に穴をあけたことが考えられること、及び前記のC3とは、保険用語では今後ある程度の治療が必要であるという意味にすぎないことを認めることができる。以上認定の事実及び前記(二)の事実を総合すると、被告は、左上一番の、従前金属ポストが充填されていた根管内部をさらに削つてこれを拡大するに際し、誤つて根管中間の壁面に穴をあけてしまい、その後これにメタルボンドの金属ポストを充填したため右ポストが根管から外れて歯ぐきに突き刺さつたことを認めることができ<る。>

しかしながら、右上一番については、メタルボンドの金属ポストが根管中心部を外れて歯ぐきに突き刺さつたことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、<証拠>によると、昭和五六年一月一四日原告が訴外福原歯科医院で診断を受けたとき、右上一番は、メタルボンドの土台となる金属塊が外れたため、その裏側の根面の部分の歯牙が欠損し、その部分へ歯ぐきが盛り上がつた状態であつたにすぎないことを認めることができる。

(四)  右認定の事実によると、左上一番の治療行為には過誤があつたものといわざるを得ないが、右上一番について治療上の不手際を認めることはできない。

3  右上二番について

原告は、左右上各一番の治療終了後(昭和五三年三、四月ころ)右上二番付近の歯ぐきの膨らみが破れ膿が流出したので被告にその診療を求めたところ、被告は、妻を通じて自然に治癒する旨告げてこれを放置したと主張し、原告本人の供述中にはこれに符合する部分がある。しかし、被告本人尋問の結果(第一回)によると、そのころ原告が右上二番の歯ぐきの端が赤くなつていることについて診察を求めて来たので、被告は無髄歯は根の先端部分付近に膿のふくろができやすく、右上二番も同様の状態になつており治療の必要があることを告げ、一般的な治療方法を説明したが、原告は治療を希望し、これを受けることなく帰宅したことを認めることができ<る。>

そうすると、被告が右上二番について不当に診療を拒否したことを前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二そこで、左上一番の治療過誤から生じた損害及び因果関係について検討する。

1  <証拠>によると、左上一番は、メタルボンドの金属ポストが歯ぐきに突き刺さつた結果歯齦膿瘍となり、結局昭和五五年二月八日福原歯科医院において抜歯せざるを得なくなつたことを認めることができ<る。>

2  リウマチとの因果関係

(一)  <証拠>によると、原告は、昭和五四年二月ころ、枚方市の厚生年金病院において、リウマチと診断されたことを認めることができ<る。>

(二)  <証拠>によると、歯の慢性疾患がいわゆる遷延感作(病巣から産出された病毒と病原菌とが一緒になつたものが抗原となり、少しづつ長期間にわたつて抗原刺激をすること)の源となり、これによりリウマチが惹き起こされるとするいわゆる病巣感染説が存在することを認めることができる。しかし、他方、<証拠>によると、病巣感染説は一九三〇年代から一九五〇年代にかけて有力であつたが、それは結局のところ原発病巣を取り除くことによつて二次的に病気が治癒したという事実だけであつて学問的な実証はほとんどできないのが通常であつたこと、一九五〇年代以降になると原発性の病巣が完全に治癒しても二次性の病気は治癒しなかつたり、従来病巣感染によつて起きると考えられていた病気の原因についての研究の結果、他に原因があることが判明したりすることにより、病巣感染説そのものが疑問視され、現在では専門家の間ではあまり重視さわていないこと、現在リウマチの原因については、病巣感染のほか溶連菌感染、マイコプラズマ感染等諸説があるが、そのいずれにも決め手がない状態であること及び従来病巣感染説が病巣となる歯の疾患として挙げていたのは歯根内の肉芽腫、歯根嚢胞、歯槽膿漏であることを認めることができ、また、原告は、前認定のとおり、昭和五五年二月八日に左上一番を抜歯しており、<証拠>によれば、原告は、昭和五四年五月北歯科医院において右下四番、五番、六番を抜歯したところ、膿が出てその直後から歯ぐきの膨らみは全くなくなつたとしながら、リウマチは現在においても緩慢ながら悪化しつつあると述べていることが認められる。

もとより、訴訟上の因果関係の証明は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その証明の程度は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解すべきであるが、以上認定の事実を総合すると、原告のリウマチが前記認定の左上一番の治療過誤によつて生じた歯齦膿瘍を原因として発病した蓋然性は到底推認することはできず、その他両者の因果関係を認めるに足りる証拠はない。

3 そうすると、被告は、左上一番の治療過誤(不法行為)に基づき、原告が被つた右1の損害についてのみこれを賠償する責任があるものといわなければならない。

三進んで、損害額について検討する。

1  元治療費、再治療費

<中略>左上一番の治療過誤によつて原告に生じた損害の額は、無益な出捐に終つた元治療費七万五〇〇〇円(左上一番一本分)及び再治療費として二四万円、合計三一万五〇〇〇円を相当と認める。

2  慰謝料

<証拠>によると、前記認定の左上一番についての被告の治療過誤の態様は、歯科医師としての治療上の注意義務を著しく怠つたものであることが認められ、その他本件にあらわれた諸般の事情(就中、原告は、右治療過誤の結果リウマチを誘発したものと思い込み、これによつて必要以上に心理的負担ないし苦痛を被つていること)を斟酌すると、本件治療過誤によつて原告が受けた精神的損害に対する慰謝料としては一〇〇万円と認めるのが相当である。

3  原告主張のその他の損害額については、本件の全証拠によつてもこれを認めることはできない。<以下、省略>

(島田禮介 牧弘二 戸倉三郎)

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